「なんでこんなに、何も感じられないんだろう」
そんなふうに心が動かなくなっていた、あの頃の私へ。
地球のへそと呼ばれる国で、小さな光を拾った話です。
毎日、同じ景色を見て、同じ道を歩く。
そんな日々の中で、気づかぬうちに心がすり減っていく──
そんな感覚を覚えたことは、ありませんか?
かつての私が、そうでした。
「嬉しい」「楽しい」って、なんだっけ?
何をしても心が反応しない、色のない日々が続いていました。
だから、一枚の航空券を手にしたのは、ほとんど祈りに近い行動だったのかもしれません。
行き先は、インドの南に浮かぶ、涙のしずくの形をした島、スリランカ。
古くから「地球のへそ」とも呼ばれるその場所に、何かを探しに行ったわけじゃない。
ただ、ほんの少しでも、息苦しさから遠くへ行きたかった──
それだけだったのです。
それが、私の心をそっとほどいてくれる旅の始まりになることも知らずに。
ままならない世界で、心がほどけていく
空港に降り立ったその瞬間、
私の「当たり前」は、少しずつ溶けはじめていました。
時間通りに来ることのないバス。クラクションの絶えない道。むせ返るような排気ガスの匂い。
ガイドブックで見た穏やかな微笑みとは少し違う、生きる力に満ちた、予測できない世界がそこにありました。コロンボには大きなショッピングモールが輝いているのに、一歩路地に入れば、まるで違う時間が流れているのです。
それは「癒やし」というより、心を「手放す」感覚に近かったように思います。
「計画通り」や「効率よく」という考えが、ここではあまり意味を持たない。そう気づいたとき、ふっと肩の力が抜けました。
「まあ、いいか」
日本にいた頃には忘れてしまっていた言葉が、心の中に静かに浮かんでくる。私がコントロールできることなんて、ほんの僅か。そんな当たり前のことを、騒音と熱気が優しく教えてくれているようでした。
計算のない優しさに触れたとき
旅の中で、私の心をさらに揺さぶったのは、そこに住む人々との出会いでした。
生活のために、とても現実的で計算高い一面を見せる人がいる一方で、全く計算のない優しさに触れる瞬間がありました。
屋台で果物を眺めていただけなのに、「日本から?」と嬉しそうにスターフルーツを袋いっぱいにおまけしてくれた店主さん。言葉は通じなくても、道に迷った私を案じて、目的地まで静かに案内してくれた青年。
そこには、見返りを求める気持ちなどないように感じられました。
この国の人々の多くが敬虔な仏教徒だと聞きます。私たちが忘れかけている「誰かのために」という想いが、暮らしの中にまだ息づいているのかもしれないな、なんて思ったり。
世界は、いつも正しいわけでも、わかりやすいわけでもない。
けれど、その愛おしい矛盾の中にこそ、人の温かさは宿るのかもしれないと、そんなことを思いました。
運気を上げたのは、聖地か、それとも名もない道か
もし、あの旅が私の運気を少しだけ上げてくれたのだとしたら、その正体は何だったのでしょう。有名な寺院の神秘的な力だったのでしょうか。
でも、私はこう考えていました。
私を救ってくれたのは、聖地の力ではなく、むしろ名前もない道や、混沌とした空気そのものだったのではないか、と。
自分の常識が通用しない場所にそっと身を置くとき、私たちは「こうあるべき」という小さな檻から、少しだけ自由になれるのかもしれません。すると、今まで見えなかった景色が目に入ったり、忘れていた感情を思い出したりする。
それは奇跡というより、心が新しい呼吸を取り戻す、とても自然なことのように思います。
スリランカは、私にとって特別な場所になりました。
それは、聖地だったからというより、私の固くなった心を、そのありのままの姿で優しく包んでくれた場所だったからです。
この指輪は、私だけのお守り
帰国してからも、しばらく鼻の奥に旅の匂いが残っていました。トゥクトゥクが巻き上げる土埃の、愛おしい置き土産です。
結局何も変わらなかったかもしれない。
でも、「まあ、失敗してもいいか」と思えたことで、私は少しだけ前に進めるようになった。
そう気づいたとき、もう怖くなくなっていました。
それはきっと、スリランカの神様のおかげではないのでしょう。ただ、「まあ、失敗してもいいか」と一歩を踏み出す小さな勇気が、私の中に生まれていた。
その、ささやかな変化の結果だったのだと思います。
旅の終わり、私は小さな店で、なんてことないデザインの指輪を3つ買いました。いつもなら絶対にしない、衝動的な買い物です。宝石に詳しい知人に言わせれば、それは「安物」なのだそうです。
合理的に考えれば、価値のないものかもしれません。
でも、私にとってこの指輪は、ただのアクセサリーではないのです。
けたたましいクラクションの音。朝食で食べた、甘いバナナの味。
そして、私の常識をひっくり返してくれた、あの目まぐるしい風景たち。
そのすべてが、この小さな輪に詰まっている気がして。
パワースポットや占いを信じるかと言われれば、今でもわかりません。
指先に、あの日の「まあ、いっか」がそっと宿っている。
そう思うと、なんだか心が軽くなるのです。
もし今、あなたが行き詰まりを感じているなら、何も遠い国へ行く必要はないのかもしれません。
いつもと違う道で帰ってみる。話したことのない同僚とランチに行ってみる。
そんな日常の中の小さな冒険が、あなたの心をほどく「きっかけ」になることもある。
あなたの心を縛る「こうあるべき」は、どんな言葉ですか?
そして、あなたが「まあ、いっか」と呟けたのは、どんな瞬間でしたか?
その小さな物語が、どこかで同じように立ち止まっている誰かの、夜を照らす光になるかもしれません。いつか、あなたの声もそっと聞かせてくださいね。(文・ユエ)


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