「もう、大丈夫」を信じた、あの頃の私へ

「もう、大丈夫」を信じた、あの頃の私へ

もう30年以上前のことです。
大学までを金沢で過ごした私は、就職を機に東京へ出てきました。
知り合いは一人もいませんでしたが、会社の寮に入ったことで、すぐに気の合う同期の仲間ができました。

慣れない大都会。すさまじい人の多さ。初めての一人暮らし。
通勤で使っていた京浜東北線も、「大船」と「大宮」がどちらが南で、どちらが北なのか分からず、何度も乗り間違えました。
仕事も、当然ながら初めてのことばかりです。慣れない東京弁を使いながら、毎日奮闘していました。ちなみに、その頃の同期とは、50代になった今でも年に数回集まり、あの頃のことを笑い合う仲になりました。

そんな仲間の一人だったカオリが、乳がんと診断されました。
カオリは21歳くらいだったと思います。美人で、感情豊かで、おせっかいなくらい人懐っこくて、ドリカムが好きで、自分のことよりも周りの人を心配するような女の子でした。

相談に乗ってほしいと言えば、部屋に泊まりに来て、夜通し話を聞いてくれる。お互いに意見をぶつけ、納得するまで話し合ってくれる友だちでした。
一方で私は、自分の正義感をまっすぐにぶつけてくるカオリが、少し苦手に感じることもありました。仲がよかったからこそ、ぶつかることもありました。

ある日、会社に行くと、カオリが入院したと部署の方から聞きました。
しばらく実家へ戻るとのことでした。昨日まで、あんなに元気だったのに……。

それでも私は、「カオリのことだから、きっとすぐに戻ってくるだろう」と考えていました。ちょうど意見がぶつかっていた時期でもあり、少し距離を置けて、かえってよかったのかもしれない。そんなふうに、軽く受け止めていたのです。

当時は携帯電話もLINEもなく、連絡手段は固定電話のみ。インターネットもなく、情報源は人から聞く話とテレビと書籍です。何より私は、がんという病気について、あまりにも無知でした。

しばらくして、カオリは退院しました。
そして、交際していた同期と結婚式を挙げました。
私たちは大いに盛り上がりました。カオリが戻ってきたこともうれしかったし、初めての同期同士の結婚でもありました。式の準備を手伝い、新居へみんなで遊びに行きました。

彼女の病気のことも、体調のことも後回しにして、今振り返ると、私たちは何もかもに浮かれていたように思います。

みんな、彼女の「もう、大丈夫」という言葉を、そのまま信じていました。

年を重ねた今なら、「大丈夫」という言葉が、必ずしも本当に大丈夫であることを意味するわけではないと分かります。心配をかけたくなかったのかもしれない。自分自身にも、そう言い聞かせていたのかもしれない。けれど当時の私は、その言葉の奥にあるものを考えることができませんでした。

そして、式をあげ1年もたたずに、カオリは亡くなりました。
カオリのお母さまが、結婚相手だった同期の彼に話していた言葉を、今も覚えています。

「カオリに『結婚』という経験をさせてくれて、ありがとう。でも、あなたはまだ若い。今は考えられないかもしれないけれど、いつか再婚して幸せになってくださいね」

お母さまは、涙を流しながら、そう伝えていました。
その言葉を聞いたとき、二人が結婚を決めたことの意味を、私はようやく理解したような気がしました。

あの頃の私は、がんと闘っていたカオリに、きちんと向き合えていたのか、考えると胸が苦しくなります。今こうして振り返ることさえ、自分の後悔を軽くするための、自己満足になっていないか不安です。50代になった今も、私には何が正しいのか答えが分かりません。

ただ、私はカオリが好きでした。
嫌なことを遠慮なく言ってくるところも、いつも鋭い指摘をしてくる抜け目のなさも、全部ひっくるめて、カオリでした。

「もう、また志保ちゃん悩んでるね? 言ってみ?」

そう言って、笑いながら話しかけてくる顔を忘れることはありません。

当時流行っていたサザンの『涙のキッス』を、私が大好きだと言うと、
「長介ウィッス!もう一度〜 声が小さいやり直し〜♪」と、
いつもふざけた替え歌にして、手振りをつけて大声で歌っていたカオリ。

ドリカムが大好きで『LOVE LOVE LOVE』をプロ顔負けに歌いあげていたカオリ。

あなたの印象があまりにも強すぎて、曲を聴くと、あなたのことしか浮かばなくなってしまったよ。本当に、歌詞のとおり、「ねえ、どうして……」と、今でも思ってしまう……。
サヨナラが、あまりにも早すぎました。


今回参加するリレー・フォー・ライフには、3つのテーマがあります。

Celebrate(祝う)
Fight Back(立ち向かう)
Remember(しのぶ)

この活動への参加を通して、私は、長く胸の中に残っていたカオリへの思いに、もう一度きちんと向き合いたいと思っています。
あの頃、聞くことのできなかったこと、言えなかったこと、分からなかったこと。
そのすべてを、今となって埋めることはできません。それでも、あなたを忘れずにいることはできます。

夜に灯すルミナリエには、カオリ、あなたへのメッセージを書きます。
ずっと大切な友だちであるあなたに、届くとうれしいです。

働きながら、がんと生きる
働きながら、がんと生きる|アドビオ
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この記事を書いた人

宮田志保のアバター 宮田志保 特定非営利活動法人フラウネッツ理事長

特定非営利活動法人フラウネッツ理事長。2003年の設立以来、在宅ワーク支援に取り組み、育児・介護などライフイベントと仕事の両立を目指す人々の就労機会の創出と環境整備を推進。

また、編集プロダクションである株式会社エフスタイルの代表取締役として、医療・働き方分野を中心としたコンテンツ制作に従事。専門性の高い情報を正確かつわかりやすく伝える編集力を強みとし、取材・執筆・編集・ディレクションまで一貫して手がけている。

厚生労働省の在宅ワーク関連事業に関わるなど、制度設計と現場支援の双方に携わってきた経験をもとに、誰もが個性や環境に応じて働き続けられる社会の実現に向けた活動を行っている。

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